加川良 かがわりょう
 1947年11月21日、滋賀県生まれ。
 シンガーソングライター
 1970年第2回全日本フォークジャンボリー」で高田渡によりステージに飛び入り出演させられてしまい、それがきっかけとなってデビューが決まった。
 1971年6月URCレコードより「教訓」でアルバム・デビュー。同年7月20日にシングル「教訓II」が発売される。
 1972年頃は、拓郎と人気を二分する勢いで、その曲調から「裏の吉田拓郎」という異名を持っていた。

 拓郎とも親交があったようで、「元気です」の「加川良の手紙」の作詞は彼のものです。もしかして本当に拓郎は彼の手紙をそのまま詞に使っちゃったのかしら?


かぐや姫 かぐやひめ
 フォークグループ
 第I期かぐや姫 1970年10月 南こうせつ大島三平森進一郎の三人にて結成。シングル3枚、アルバム1枚を残して翌1971年解散。
 第II期かぐや姫 1971年8月 南こうせつ山田パンダ伊勢正三の三人にて結成。数々のヒット曲を残して、1974年4月に解散。一般にかぐや姫というとこの第II期かぐや姫を指します。
 代表曲に、「神田川」、「赤ちょうちん」、「」、「22才の別れ」など多数。

 ファースト・アルバムの「はじめまして」は拓郎のプロデュースです。のみならず、「僕はなにをやってもだめな男です」と「マキシーのために」は拓郎リードギターを担当しています。  このリードギターは結構へろへろで笑えるんですけどね。
 また、拓郎との数々のコンサートもこなしております。  御存知の通り1975年8月2日から3日にかけて行われたつま恋コンサート拓郎かぐや姫がメインを交代で務めました。


笠置シズ子 かさぎしずこ
 1914年08月25日生まれ、香川県大川郡引田町出身。 笠置シヅコとも。
 歌手
 1985年03月30日没。享年71歳

 最初、大阪のOSK歌劇団に所属する。終戦後には 「東京ブギウギ」が社会現象になるほどヒットし 「ブギの女王」と呼ばれました。その躍動感あふれる歌は 「当時の疲弊した民衆の心を慰撫し、暗い世相に燦然と明るい灯を点じた」と顕彰されるほどの 輝かしい功績を残しました。  「東京ブギウギ」秘話として、 当時、入籍せぬまま一緒に暮らしていた吉本頴右 (「吉本興業」の創始者の息子らしいです)が生まれてくる子供の顔を 見ぬまま急死しました。そして翌月、笠置シズ子さんは江似子を出産するが 悲しみに包まれた日々を送ることになる。しかし、いつまでも悲嘆にくれているわけにはいかず、 「先生、たのんまっせ」と服部に言い再起を計った。
 そこで服部は、「彼女のために、その苦境を吹っ飛ばすような華やかな 再起の場を作ろう」と決心し、「なにか明るいものを、 心がうきうきするものを、派手な踊り、楽しい歌」をと考えるうちに、電車の中で揺れる吊革 からブギウギのリズムを思い出し、 10月の日劇 「踊る漫画祭・浦島再び竜宮へ行く」で、 笠置シズ子は「東京ブギウギ」を舞台狭しと 激しく踊り、歌った。という話があります。

 服部良一氏とは関係が深く、服部氏が 作曲した中で「ブギウギ」もしくは 「ブギ」と名前のつく曲はほとんど笠置シズ子さんが歌いました。
その縁もあってか笠置シズ子さんは服部良一氏 の埋葬された和田堀廟所に埋葬されたそうです。
 「東京ブギ」は終戦後というイメージが強いのですが、人々を元気づける歌は時代を超え今でも 歌い継がれています。JリーグのFC東京ではサポーターソングとして使用しているそうです。

 ブギウギの項にも書きましたが 「ホームラン・ブギ2003」は、 笠置シズ子さんの往年のヒット曲をカバーしたものです。


数え歌 かぞえうた
 歌の形式の一。

 一つ二つと数える言葉が 各歌詞の歌い出しにおかれ順次数をおって続いていく歌。

 拓郎の歌でいうと「あゝ青春」がこれにあたります。 拓郎の作ではありませんが「ホームラン・ブギ」も数え歌になります。
 一つ二つという数え方ではありませんが、 「ゆうべの夢」や「決断の時」も この分類においてもよいでしょうか。


カッティング cutting
 奏法の一。

 ギターなどでコード・ストロークを行う時、音を短く切るテクニックをいう。


ガット・ギター Gut Guitar
 楽器ギターの一種。

 現在は、ナイロンを弦に使用しているが、古くはクラシック・ギターに羊などの腸(ガット)で作った弦を張っていためこう呼ばれる。
 現在ではクラシック・ギターそのものを指すこともある。ただし、この分類の仕方だと、ほかにも「スパニッシュ・ギター(フラメンコ・ギターとも)」(フラメンコに使われるギター)などがある。


加藤和彦 かとうかずひこ
 1947年3月21日2009年10月16日。京都市伏見区生まれ。
 歌手作曲家プロデューサー
 1967年フォーク・クルセダーズの一員として、 「帰ってきたヨッパライ」でデビュー。  1970年フォーク・クルセダーズ解散後は サディスティック・ミカ・バンドというスーパーグループ(ヴォーカル/ギター: 加藤和彦、ヴォーカル:加藤ミカ1949年4月17日生まれ、 当時の加藤和彦氏の奥さん》、ベース:小原礼1951年11月17日生まれ》→ 後藤次利1952年2月5日生まれ》、 ドラムス:つのだひろ《生年月日不明》→高橋幸宏1952年6月6日生まれ》、キーボード:今井裕1949年3月31日生まれ》、ギター: 高中正義  メンバーの名前 聞くだけでもすごいですよね)を率い、1974年11月5日発売の 「黒船 嘉永六年六月四日」が世界的に認められるなど、幅広く 活躍している。

 拓郎との親交は深く、古くは「ともだち」の頃、 ギブソン J-45を譲ってもらったり、デュエットで 「ジャスト・ア・RONIN」や「純情」 を歌ったりしています。


金沢事件 かなざわじけん
 1973年5月23日早朝、拓郎は、 東京・丸の内署からやってきた刑事によって逮捕される。
 金沢事件と呼ばれる事件である。

 1973年5月24日、H紙
「フォーク・シンガーの吉田拓郎(27)が、 23日、障害、不法監禁、強姦致傷の容疑で金沢中署に逮捕された。 同署の調べによると、吉田はさる4月19日午前2時過ぎ、 金沢市の繁華街、片町一丁目の路上で、同市の大学生君 (19)にいいがかりをつけ、君の顔面を 殴って、全治一週間の傷をおわせたうえ、B子さんを 片町一丁目ニの一のホテル、片町ビレッジ五階の五〇三号室につれこみ、内からドアにカギをかけたうえ、 約二十分間にわたって、むりやり強姦しようとした。 B子さんの抵抗にあい、目的は果たせなかったが、相手に全治 六日間の傷をおわせたというもの」

 1973年5月25日、H紙
「金沢中署の調べによると、吉田は事件当日の 四月十九日夜十一時ごろ、 新六紋銭のメンバーとともにはいった喫茶店で、 被害者の君、B子さんと知りあった。 互いに酒を飲んでいたことや、B子さんが彼のファンだったという 事情もあって、最初は和気あいあいと話し合っていたが、吉田が 帰りがけにB子さんを誘ったことから君と ケンカになり、路上で吉田が暴力を振るった。吉田 はここまでの経過は認めているが、B子さんから告訴された、その後に起きた という暴行事件は否定している。同署の説明では、吉田君に傷を負わせたため、公演関係者の手を借りてホテルに運び込んだ。 君のことを心配したB子さんは、 その喫茶店につとめているC子さんと同行してホテルをたずねた」

 1973年5月29日D紙
「金沢地検に送検されたたくろうの拘留は十日間たくろう側は、後藤 ユイ音楽工房社長、久保利弁護士、 CBSソニー松尾邦楽部次長が 二十五日に記者会見し、大学生に対する障害以外は否定、 場合によっては逆告訴も考えていると”強気”な一面も見せている。『たくろう が連れの女子大生を部屋に入れ、内からカギをかけたのは認めている』(警察関係者)のだが、 たくろう側によると『障害の事実は認めるが、婦女暴行と監禁の事実はない。 くだんの女性B子さんと喫茶店のウェートレスC子さん の二人は、ホテルのたくろうの部屋に泊まったが、 たくろうはマネージャーと一緒に彼の部屋ですごした。 翌朝、家に帰ったB子さんには婚約者がいるらしく、彼の手前、 ついウソをついてしまったのではないか』と真っ向から暴行、監禁を否定している。しかし B子さんはなぜホテルに行ったのか−−−暴行された連れの安否を気遣ってか、 あるいはファンの一人として同行したのかは、いずれ取り調べでハッキリするはず。『事件の事実は 間違いないと確信してます。あとは検察庁に任せたわけですが、有罪を確信しているから送検したのです。 本人の態度は普通です。食事もとっていますヨ』(金沢中署掛下次長)恐らく起訴は間違いないというのが警察側の 見方である」

 拓郎は、1973年6月2日午後一時三十二分に 釈放されるまで、警察に拘留される。

 拘留中、金沢の女子高生のファンが、拓郎を応援するために、中署の裏で 「旅の宿」「おきざりにした悲しみは」 「青春の詩」を歌っていたというエピソードがある。

 1973年6月3日S紙
五月二十三日逮捕され、二十五日金沢地検に 送検されたよしだの拘留期間は三日の朝 八時半までだったが、その前日、二日午前B子さん側が告訴取り下げ、一方よしだ午後一時半に無罪釈放となった。B子さん側は 当人と父親が告訴取り下げにきたが『マスコミ疲れしました。娘も学校へ行けなくなってしまい、 潮時と思い・・・・・・』がその理由だった。それにしても、今回の事件は、日を追うにしたがい、様相が 逆転してきた。たくろう逮捕の翌二十四日には、 ユイ音楽工房後藤社長らが金沢で記者会見した。 内容はB子さんと行動をともにしたC子さん (19)の『B子さんの方から”ちょっと一緒に 出てきます”と言った』という発言や、問題のホテルの部屋へは、仲間が三回くらい出入りしたが 『たくろうが乱暴しているのは見なかったし、悲鳴も聞こえなかった』 などというもの。前後の”状況”が明らかになるにつれ、金沢にはたくろう支援 の会まででき、一部には『警察の行き過ぎ』というきびしい声も出ていた」

 これが、金沢事件の顛末である。拓郎には、 逆告訴するということではっきりとした決着をつけることもできたのであるが、母 朝子さんの「これから家庭を作ろうとしている人を傷つける資格は おまえにはない」という言葉で思いとどめられた。B子さんはまもなく 結婚するという話であり、母は我が子の冤罪を晴らすことより、むしろ加害者である娘の幸せを願った とのことである。

 拓郎ファンにとっては、思い出したくもない事件であると思いますが、 拓郎の生き様を語る上で欠かせない事件であると思い、記すこととしました。


カバー cover virsion
 音楽用語の一。正確には、カバーバージョン

 ヒットした曲をオリジナルの歌手や演奏者とは別の人による歌や演奏で録音したもの。


鎌田裕美子 かまたゆみこ
 生年月日、出身地不詳。旧姓、田中。
 キーボード奏者

 その昔は、COSMOSというキーボードユニットを組んでいたようです。
 80年代後半から、90年代へかけて、 夫の蒲田氏(ドラムス)とともに拓郎の ツアーに参加されていました。
 拓郎が「バンマス」と呼んでいましたから、きっと芯の強い女性なので しょうね。
 とてもチャーミングな方で、仲間内では「きっと蒲田兄妹だよ」 なんて言ってたのですがやっぱり、蒲田夫妻だったようです。


かまやつひろし かまやつひろし
 1939年1月12日生まれ、東京都出身。
 シンガーソングライター俳優
 1958年ロカビリー・ブームソロ・デビュー
 1963年ザ・スパイダースに加入。 GS・ブームに乗り、「フリフリ」、 「夕陽が泣いている」、 「あの時、君は若かった」などヒットを飛ばす。 1970年にグループは解散。その後、ソロ として活躍。

 拓郎との親交は深く、「シンシア」 を拓郎デュエットで歌っています。  その他、「水無し川」などあるのですが、 なんと言っても代表曲は、1975年2月5日発売の 「我が良き友よ」でしょう。
 この曲はは名曲であると断言します。  拓郎ファンと しては、なんでこれを拓郎がシングルで歌わなかったのだろうと 思っちゃいますね。これを拓郎が出していればもしや、「結婚しようよ」 「旅の宿」を凌ぐヒットになっていたのでは・・・。 などと思ってしまうのです。


髪型 かみがた
 結ったり、切り整えたりして仕上げた髪の恰好。髪のかたち。ヘア-スタイル。 (「大辞林」より)

 拓郎の髪型は、現在(2004年3月)に 至るまで、5つの時期に大別できます。 (デビューするまでの子供から学生時代の時期は除いています)

 まず、第一期は「青春の詩」のわずかな時期 ですが、マッシュルームカットの時代です。まだ、あどけなさの残る可愛い顔とマッチして、 フォーク界の貴公子(プリンス)と言われていたのも納得してしまいます。

 第二期は「結婚しようよ」に代表される ロングヘアの時代です。まさに歌を地でいくような髪型でした。フォーク、ロングヘアというのが 定着していた頃です。

 第三期は「大いなる人」のジャケットに なっている少しだけ短めになった髪です。この時期は、FOR LIFE の 社長業をやっていたので、髪も少し抑え目にしていたのでしょう。接待や会合などにも出ていたので、 おさえていたのだと思います。この時期は社長業と同じく、短かったので印象の残っている人は 少ないかのではないでしょうか。

 第四期第三期の影響なのか、 原田真二プロデュースの後遺症なのか、突如カーリーヘアになって しまいました。「ローリング30」から 「176.5」に至るまで、結構長い期間この髪型でした。 堂本光一君はこれを称してライオン丸と 言っていました。拓郎というと世間のイメージでは、第一期か、現在の 髪型かどちらかなのでしょうが、'70年代末期から わたしが一番拓郎三昧の日々を送っていた'80年代 をこの髪型で過ごしていたので、わたしにはこの拓郎が一番印象的です。ただ、 「176.5」の頃は結構、危険な状態にきていましたね。

 第五期は、現在も続いている、ベリーショート (男性の場合はこう言わないのかな?)です。この髪型は 「男達の詩」で突如出てきたので、衝撃的でした。わたしは 南こうせつ氏の 「サマーピクニック'90」でその事実を目撃したのですが、 第一印象は、「カッコいい」でしたね。「176.5」で、危険と思って いたのを逆手にとって、思い切ったことになりました。今はこの髪型にサングラスが定着してきたので 普通に思えるようになりましたが、びっくりした方も多かったのでは?わたしも危なくなってきたら この髪型にしようと思っています。男らしくていいじゃありませんか。 松山某氏のようにスキンヘッドまでいくのはどうも行き過ぎのような 気がして・・・。


軽井沢シンドローム かるいざわしんどろーむ
 漫画。作者はたがみよしひさ
 小学館発行の「ビッグコミック・スピリッツ」に1981年から1985年にわたって連載された。

 各話にはサブタイトルがついており、サブタイトルは歌の題名になっている。たがみよしひさ氏は、拓郎の曲を知っている模様で、拓郎の楽曲の題名が結構入っています。 「ビッグコミック・スピリッツ」はちょうどわたしの学生時代に創刊されたもので、当時は毎回買っていました。拓郎の曲がサブタイトルになっているときはものすごくうれしかったものです。

 各話のサブタイトルと作者。

単行本No.サブタイトル歌手備考
1春を待つ季節不明中島みゆきの「冬を待つ季節」?拓郎の「春を待つ手紙」?
2加速度 さだまさし
3泣きたい夜に 中島みゆき
4狼になりたい 中島みゆき
5みるく928 中島みゆき「みるく32」と「ポルシェ928」をかけています
6旅の蒼空(そら)から松山千春
7みるく MY LOVE 吉田拓郎
8THE END OF“DEEP”不明
9展覧会の絵 ムソルグスキー
1HAPPY BIRTHDAY 井上陽水
2SEPTEMBER RAIN 太田裕美
3群青 アリス
4崩れ落ちる前に THE MODS
5朝日のようにさわやかにジャズのスタンダード
6いとしの絵里 サザン・オールスターズ
7りばいばる 中島みゆき
8ウイスキーボトル・ブルースイルカ
9店の名は「ら・くか」 中島みゆき店の名はライフ
10 悪女 中島みゆき
1本日は雪天なり 谷山浩子
2パーフェクト・ブルー 吉田拓郎
3夢の途中 来生たかお
4風は激しく ブラザーズ・フォー
5主人公 さだまさし
6春を呼べ 吉田拓郎
7ハート仕掛けのオレンジ大瀧詠一
8誘惑 中島みゆき
9ふられてBANZAI 近藤真彦
10旅の宿 吉田拓郎
11カリフォルニア・ドリームママス & パパス
12砂の船 中島みゆき
1SUMMER TOUR RCサクセション
2フォーカス 松任谷由美
3唇をかみしめて 吉田拓郎
4知らず知らずのうちに ダウン・タウン・ブギウギバンド
5あばよ 研ナオコ
6いつか夜の雨が 吉田拓郎
7抱きしめたい ビートルズ
8風のえれじい 不明
9うそつきが好きよ 中島みゆき
10赤い踊り子 永井龍雲
11横恋慕 中島みゆき
12おさかなはあみの中 谷山浩子
1雪化粧 松山千春
2赤ちょうちん かぐや姫
3検察側の証人 さだまさし
4挙動不審 永井龍雲
5あの娘といい気分 吉田拓郎
6妬いてるわけじゃないけれど中島みゆき
7花一文目 南こうせつ
8ドラマティック・レイン稲垣潤一
9Good,Good-Bye 井上用水
10紅蓮の鳥 不明
11ファミリー 吉田拓郎
12ファイト 中島みゆき
1セルロイドの少女 森田童子
2初恋 村下孝蔵
3BOHEMIAN 葛城ユキ
4ゆうこ 村下孝蔵
5JUNKO 長渕剛
6ラブ・ショック・ナイト井上陽水
7兄弟仁義 北島三郎
8とまどうペリカン 井上陽水
9落陽 吉田拓郎
10 吉田拓郎この「雪」は違うかもですが(笑)
11カナリア 井上陽水
12アジアの片隅で 吉田拓郎
1玄冬記 アリス
2 不明
3もしも明日が わらべ
4 不明
5答はUNDERSTAND 井上陽水
6カリフォルニア・コレクション水谷豊
7マリーナ・デル・レイ 水谷豊
8傾斜 中島みゆき
9誰か故郷を想わざる 霧島昇
10高原の駅よ、さようなら 中村美律子
11真夜中すぎの恋 安全地帯
12流れる雲を追いかけて サザン・オールスターズ
13海は恋してる ザ・リガニーズ
1破れたハートを売りものに 甲斐バンド
2ボディ・スペシャルII サザン・オールスターズ
3偏路 中島みゆき
4My House 井上陽水
5ペテン師 かぐや姫
6道標(みちしるべ)ない旅 永井龍雲
7十戒(1984) 中森明菜
8氷の世界 井上陽水
9春までなんぼ 中島みゆき
1バラードが聴こえない 不明
2シニカルムーン 中島みゆき
3Romanticが止まらない C.C.B.
4シャボン 原由子
5CRIME TIME 不明
6恋の予感 安全地帯
7ひとりぽっちで踊らせて 中島みゆき
8マドンナはお前だけ ラッツ&スター
9Back Again 不明
10はじめまして 中島みゆき
Special Thanks to 軽井沢シンドローム


川崎真理子 かわさきまりこ
 公式サイト。  生年月日、出身地、不詳。
 歌手作詞家

 詳細な情報はほとんど不明。現在、結婚してマリコ・スミスと いう名前で活動しているようです。

 「Pillow」の作詞をなさっています。


川村ゆうこ かわむらゆうこ
 歌手
 生年月日不明、青森県出身。
 FOR LIFE期待の大型新人第1段で、拓郎プロデュースしたのですが、ほとんど売れなかったですね。
 その後、フォーク歌手からロック・シンガーに 転進したところまでは、知っているのですが、現在の消息は不明です。

 そんな彼女のデビュー曲拓郎作詞・作曲の 「風になりたい」です。拓郎自身も 「俺が愛した馬鹿」でセルフカバーしている曲です。


神田広美 かんだひろみ
 生年月日、出身地、不明。
 元アイドル歌手作詞家
 1977年スター誕生により アイドルとしてデビュー。
人見知り」、「哀しみ予報」、 「ジャスミンアフタヌーン」、「薔薇詩集」、 「ドンファン」以上、5枚のシングルと 1枚のアルバムを残して、引退。
 その後、神田ヒロミ」、野原理香等の ペンネームで作詞家として、活躍。多くのシンガーに詞を提供しています。

 拓郎ファンとして、必聴なのがラストシングルとなった 「ドンファン」です。この曲は、 松本隆氏作詞、 吉田拓郎作曲なのですが、数ある拓郎の 提供曲の中でも名曲中の名曲です。なぜ、これがヒットしなかったのか、不思議なくらいです。
 いまや、この曲を手に入れるのは、困難な状況ですが、もし、機会があれば、ぜひ 聴いておきたい一曲といえるでしょう。



康珍化 かんちんふぁ
 生年月日、出身地、不明。
 作詞家
 一般企業企画部勤務を経て、1978年山下久美子の 「バスルームから愛をこめて」で作詞活動を開始。
 1984年高橋真梨子に提供した 「桃色吐息」で日本レコード大賞作詞賞を 受賞。
 1985年中森明菜に提供した 「ミ・アモーレ」で日本レコード大賞受賞。
 また、1984年1985年二年連続で日本レコードセールス大賞作詞賞を 受賞している。
 脚本作品にも「19ナインティーン」 「稲村ジェーン」「東京の休日」等がある。

 拓郎へ詞を提供した曲として 「ひとりぼっちの夜空に」「友あり」があります。


カントリー country music
 音楽のジャンルの一。
 アメリカ合衆国ポピュラー音楽の一種。
 イギリス系移民の民族音楽にアフリカ系アメリカ人の音楽、 北部都市のポピュラー音楽などを取り入れ、1920年代後半から、 特にアメリカ南部の労働者階級のポピュラー音楽として発展してきた。 後に南部の黒人音楽と融合し、ロックへの源流ともなった。


カンパリソーダ Campari & Soda
 カクテルの一種。

 材料:
    カンパリ     ・・・ 45ml
    ソーダ水     ・・・ 適量
    スライスオレンジ ・・・  1枚

 作り方:
    タンブラーに氷を入れ、その上から カンパリ → ソーダ水 の順に注ぐ。
    スライスオレンジを入れて、軽くステアする。

 炭酸の爽快感が気持ちいい 奇麗な色のカクテル。
 カンパリは イタリアの代表的なお酒で、食欲増進や 胃の働きに効果があるらしい。 カンパリ・ソーダは、そんなカンパリの 一番メジャーな飲み方。
 おしゃれな飲み物です。